拝啓 入戸野修様


明日から、福島大学が授業を再開する。あきらかに危険だ。
福島大学では、先生方が公開質問状をだし、この時期の授業再開を憂慮している。

http://www.sss.fukushima-u.ac.jp/~nagahata/archives/koukai_shitsumon.pdf


また、京都大学原子炉実験所の小出裕章氏も、以下のようなコメントをだしている。

http://ameblo.jp/datsugenpatsu1208/entry-10855633185.html


どうにかしなくてはいけない。
ブラックリストの友人も、福島大学の学長宛に手紙をだしたようだ。
全文を引用しておこう。


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福島大学学長 入戸野修様


はじめまして。突然のお手紙失礼いたします。わたしたちは脱原子力大学ゼネラルストライキ委員会と申します。この度は、あなたがお書きになった「福島大学・学長メッセージ」を読み、どうしてもご意見申し上げたいと思いまして、お手紙を差し上げました。


あなたは三月三一日付けの「学長メッセージ」で、五月九日に入学式をおこない、その後、なにごともなかったかのように授業を開始すると言明なさっています。また先ごろ出された五月二日付けの「メッセージ」でも、事態はいっこうに改善されていないにもかかわらず、ひきつづき九日に「入学生を迎える会」を、十二日からの授業開始を明言されています。まず、お聞きしたいのは、それは本気でしょうか。もし本気だとしたら、それは自殺行為なのではないでしょうか。あなたは入学式までに、放射能の危険はなくなるとおっしゃっておられましたが、事態がいっこうに改善されていないのは周知の事実です。詐術的に引き上げられている限度値に依拠されているようですが、いったいどれほどのひとが無理なくそれを信じられるというのでしょうか。あの東京電力ですら、放射能漏れがおさまるのにまだ数ヶ月かかるといっています。現状のいったいどこに安全性があるのでしょうか。ある科学者はチェルノブイリのデータにもとづき、今後一〇年間の日本の発癌予測をしたところ、福島第一原発から二〇〇キロ圏内の住民七八〇万人のうち、約二〇万人が余分に癌になると結論づけています。はっきりといっておきますよ。福島はもろに被曝しています。危険です。わたしたちの誰ひとりとして、今の福島大学に行きたいとは思いません。これは全日本の、全世界の声としてお聞きいただいてかまわない。誰もがそう考えている。この端的な事実の理由は、とても簡単です。福島大学被爆しているからです。そして、くりかえし説きつづけられる安全性など、まったく信じられないからです。くりかえします。福島は被爆しています。いま起きている事態はあなたがおっしゃるような「ピンチ」でも「チャンス」でもありません。空前の規模で進行中の放射能汚染です。


あなたは「大学は学問の府であり、科学の砦である、だからデマに惑わされるな、大学は安全だ」とおっしゃっています。しかし、あなたのいう大学とはいったいなんなのでしょうか。科学だかなんだかしりませんが、ひとにぎりの専門家が知識を独占し、一方的に情報をたれ流すのが大学なのでしょうか。学生は黙っていうことを聞く社畜となるしかないのでしょうか。わたしたちは「大学はデマが氾濫する場所である」と考えています。デマとは、デモスの語る言葉のことです。古代ギリシアの時代、愚民とバカにされてきた民衆たちが自分たちの思ったことを自分たちの言葉で表現しました。それがデマです。科学的であろうとなかろうと、その言葉がきれいだろうときたなかろうと関係はありません。誰に命じられることもなく、民衆自身が語る言葉、デマこそが真実なのです。学長、思い出してください。中世ヨーロッパ、それまで貴族や金持ちに独占されてきた学問を万人に開くためにうまれたのが大学ではなかったでしょうか。元来、学生はデマを流す存在なのです。そして、一九一七年しかり、一九六八年しかりです。学生のデマは、いつも新しい時代を切りひらく原動力となってきました。デマは必要です。デマをとめてはいけません。科学をふりかざし、安全言説をたれ流すのはもうやめてください。学生は社畜ではありません。学生はデモスです。真実をねじまげないでください。デマを聞け。



風のうわさで、あなたが県外に避難した教員を「非国民」あつかいしたと聞きました。いったいどういうことでしょうか。あなたがた大学経営陣からすれば、学生をつなぎとめるために、大学は安全だというのは必要なのかもしれません。また、そんな思いを無にするような教員の言動は許しがたいのかもしれません。しかし、一教育者として考えてみてください。汝、社畜たれ、大学経営のために安全を装えと命じられていたその教員が、さっそうと県外へと逃げだしたのです。きっと、その教員のおかげで逃げる選択があることを知った学生もいたでしょう。たとえクビにされてでも、安全ではないと身をもって示すこと。誰に命じられることなく、自分の意見を示すこと。デマを流すこと。大学がデマを流す場所だとすれば、逃走した教員は大学の模範です。責めてはいけない。あなたは経営者であるばかりでなく、教育者でもあります。いまこそ全教員にうったえるべきではないでしょうか。率先して逃げろと。学生の生命を守り、身をもって大学のあるべき姿を示せと。あなたにとって、それはそれほど難しいことではないはずです。


もしかしたら、教員が率先して大学放棄をよびかけることに、とまどいを覚えているかもしれません。それは責任の放棄なのではないかと。ありえないと。しかし、目線を海外に移せばそれほどありえないことではないはずです。二〇〇九年、フランスではたかだか学費値上げのために、教員が率先して大学ストライキをおこし、半年にわたって授業をボイコットしました。いまわたしたちは放射能を浴びています。正直、フランスよりもはるかに深刻な事態です。あなたがたが大学放棄をよびかけることの、いったいどこがおかしいのでしょうか。被爆者を生み出すだけの責任など、叩きつぶすべきなのではないでしょうか。また、全国の大学を見まわしてください。震災後、帰国した留学生は、そのおおくがまだ戻ってきていません。大学は躍起になって安全だといいはり、戻ってくるようにうったえかけていますが、聞きいれられることはないでしょう。かれらは自発的にストライキをおこしているのですから。とめてはいけない。かれらは専門家の言うことではなく、自分の目でみて自分の判断で動こうとしています。授業を放りだして逃亡すること。かれらこそデマを語るもの、真実を語るもの、学生なのです。あなたは学生にたいして、避難所のボランティアに参加しろとよびかけていますが、言語道断です。それは学生を被曝させるだけの労働です。専門家の安全言説をうのみにする社畜を大量生産するだけです。あなたのよびかけの裏で、学生たちはただしくもパニックに陥っています。デマが、真実の言葉が飛かっています。だから、どうか目を背けずに、一言でいいからいってください。留学生を見習えと。自分が危ないと思ったら、どうか逃げてくれと。



福島原発の爆発で吹き飛び、砕け散ったのは、原発建家だけではありません。そういった具体的なモノだけでなく、もっと抽象的なもの、たとえば無数の言葉が破壊され、いままでどおりの意味をなさなくなったり、まったく使い物にならなくなってしまいました。残念ですが、学長、あなたがたびたび使われる、「安全性」や「日常生活」といった言葉も元には戻れないほど意味を変えてしまっています。こういったことに気づいているのは、誰よりも、福島大学の学生たちなのではないでしょうか。当の「大学」や「学生」の意味が問いなおされているのも、すでにわたしたちが指摘させていただいたとおりです。ところで、あなたはこんな言葉が好きだといっていますね。


「意識が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば性格が変わる。性格が変われば人生が変わる」


美しい言葉ですね。そんな言葉が意味をもったときもあったのかもしれません。でも、はっきりいっておきましょう。いま必要なのは、学生に放射能を浴びせながら、「大丈夫、がんばれ」と叱咤激励するような精神論ではありません。いま必要なのは、福島から脱出するための逃走資金です。脱出するだけでは足りません。脱出先で、十分に勉学にはげむための資金も必要です。学長、カネをください。わかっています。悪いのは政府と東電です。だったら、カネをもらってきてください。わたしたちはこんな言葉が好きです。


「カネがあれば意識が変わる。カネがあれば行動が変わる。カネがあれば習慣が変わる。カネがあれば性格が変わる。カネがあれば人生が変わる」。


学長、どうかお願いします。カネをください。学生を、教員を逃がしてください。学生のために、教員のために。すでに開始されてしまっている幼稚園、小中学校、高校といったほかの教育機関に再考をうながすために。



さいごに、あなたは四月二十一日付けの「メッセージ」をこのように結んでおいでです。


「私たちは,学問の府として,この事実を踏まえ,単なる被害者としてだけではなく,人類初めての原発震災の事実を分析し,皆さんとともにその成果を人類史の中にとどめたいと考えています」。


どうかご安心ください。放射能にまみれながら「分析」などして、これ以上被爆者を生産していただく必要はありません。そんなことをせずとも、福島大学が人類史にその名を残すことは間違いないでしょう。ただ、それがどのようになされるかは、学長、あなたの判断にかかっている、わたしたちはそのように考えています。いますぐに学生、教員に退避を、脱出を呼びかけること。そのためのカネを用意すること。脱出した先で、原発のない世界をつくりだすためのあらゆる行動の開始を促すこと。そうすることで、福島大学の名は、脱原子力世界の先鞭をつけた大学として、人類史のみならず、来るべき地球史、気象史にその名を刻むことでしょう。しかし、もしこのまま授業開始という自殺行為=被爆者の製造を行うというのなら、あくまで大学の経営にすがりつこうというのなら、福島大学の名は、また別のしかたで歴史に刻みこまれるでしょう。人類の失望とともに、地球の落胆とともに、風の怨嗟とともに。どうか、懸命な判断をされんことを。


2011年5月7日 脱原子力大学ゼネラルストライキ委員会