思考のための都市

先日紹介したシンポジウムにむけて、
岡山茂さんから文章をいただきました。
ぜひ一読を!

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フクシマ以降の大学


1 教育環境


「行く川の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず」というけれども、教員も学生を川の流れように眺めながら年老いてゆく存在である。教員が教えたいと思っていることが学生の学びたいことであるとは限らない。しかし教える者と学ぶ者がそれぞれの知的冒険のなかで出会うことはないわけではない。そのような機会を数多くもたらす「教育環境」とはどのようなものか、それはどのような大学により濃密にあるといえるのかを、ここでは考えてみることにする。


19世紀フランスの詩人マラルメがみたオックスフォード大学やケンブリッジ大学には、研究と勉学のためのこの上ない環境が保たれていた。中世以来の美しいキャンパスを学生と教員が悠然と散歩するのを眺めながら、詩人はこのような大学を存続させているイギリスという国に驚いている。そこには大革命で大学を廃止したフランスとは違うたぐいの「社会的寛容」、あるいは「乱されることのない伝統的な土地」があると彼は思った。霧に包まれたロンドンや石炭の塵にまみれた地方都市に暮らす人々は、これら二つの花のような「思考のための都市」に生きる者たちの存在を、黙って許していたのである。


フランスはそういう「寛容」の精神を大革命のときにかなぐり捨て、ヨーロッパの大地をもナポレオンの遠征によって踏み荒らしてしまった。プロイセンはナポレオンへの抵抗のなかでベルリン大学を創設し、近代国家としてのドイツの礎とするだろう。フランスは19世紀末に大学を復活させるが、両国はその後に第一次世界大戦塹壕戦という、文字どおりの泥沼のなかで膨大な数の若者を死なせてしまうことになる。そこに欠けていたのはもしかしたら、中世の大学を保ち続けたイギリスの「社会的寛容」なのかもしれない。


しかしイギリスにおいてもそのような精神は、サッチャーによる改革のとき以来失われてしまったようにみえる。イギリスはいまやオックスブリッジも含めて、世界でもっとも厳しい「教員評価」が行なわれる国である。イギリスの古い伝統を引き継ぐアメリカのリベラルアーツ・カレッジにしても、その自由な教育環境は、アメリカの人々の寛容さというより、彼らへの見えない抑圧によってかろうじて保たれているにすぎない。ウォール街を占拠した群集は、アメリカでは1パーセントの富裕層が99パーセントの民衆を支配していると叫んでいる。そしてリベラルアーツ・カレッジはたいてい富裕層の子どものためのものなのである。いまや世界のいたるところで「怒れる者たち」の氾濫=反乱が起きている。その「怒り」は端的に、大学が「禁域」として一握りの人々にのみ許されてあることへの抗議なのである。


かつて日本には、大学がすべての者に開かれると思われた時代があった。戦後に全国の県に一つずつ国立大学が置かれ、旧帝大や私立大学まで含めてすべての大学が一元化されたときである。戦前において旧制高校から帝国大学へと進んだごく少数のエリートにのみ許されていた特権が、すべての学生にある程度まで許されるようになると人々はそのときに信じた。自分の子を「大学」に進学させるということが廃墟から立ち上がろうとする庶民の心の支えとなり、そのことが大学の急激な成長をもたらし、さらにそのことが日本の「奇蹟の復興」をも可能にした。しかし残念ながら、大学の大衆化がこのようにして進むなか、入試のシステムによって旧帝大系大学の支配的な地位はふたたび揺るぎないものとなり、私立大学の学費というバリアも少しずつ高くなってしまった。政府は大学を増やして学びたい学生すべてを受け入れるより、新幹線や高速道路や原発の建設を優先してしまった。


1991年の大学設置基準の大綱化と2004年の国立大学法人化は、さらに「不寛容」な政策であったといえる。これらの改革は戦後に大衆が大学に対していだいた夢を、幻想として打ち砕くようなものでしかなかった。法人化によって大学は「自治」をえたが、「競争的環境」のなかでの不平等な競争は大学そのものを「勝ち組」と「負け組」に分けた。「教育環境」においてもとより恵まれていた東大をはじめとする旧帝大系の大学はその環境をさらによいものとし、その他の大学はむしろそれを劣化させた。校舎はきれいになったが教員が減らされて、第二外国語を学べないような大学や学部はいまやざらである。


それではどうして日本の若者は静かなのだろうか。彼らは怒っていないわけはない。原発事故による放射能にもっとも敏感であらねばならないのは彼らである。また彼らは、日本の大学がだれにでも開かれ、なおかつその「教育環境」が申し分ないと思っているわけでもない。彼らはだまされないくらいには啓蒙されている。国が不寛容ならその国の民衆は啓蒙されていなければならない。福島原発事故でエリートや専門家への信頼が揺らぎ、そのために大学への信憑さえ薄らいでいるいま、日本の若者はそのことに気づいている。さもなければ大学は、ナチスの時代のドイツや戦前の日本のように、民衆の迷妄を煽るだけのエリートを輩出する機関となってしまっている。


ということは、彼らこそ「社会的寛容」を知るいまでは世界にも稀な「民衆」なのかもしれない。たしかに彼らは、「教育環境」をよくしようと思っても自分たちではどうにもならない、既存のシステムに組み込まれていくしかない、と諦めているのかもしれない。しかしそういう彼らにも、かつての民衆の記憶はDNAとして刻み込まれている。大学とは、国家にとって有用な人材を育成するための場所ではない、個人がよりよい就職先を求めて競いあう場所でもない、それは知的に解放された者がさまよい、出会う場所である、ということを彼らは心の底で知っている。だからこそ彼らは静かなままでいられる。


彼らをこれ以上怒らせてはならないだろう。その「寛容」が世界を救うからである。そのためにはどうすればよいかを考えることが、「フクシマ以降の大学」を考えるということだ。


岡山茂