仮病の論理


ちょっと遅くなってしまったが、9月11日に脱原子力大学ゼネラルストライキ委員会が第2宣言をだしていた。せっかくなので引用しておこう。ご賞味ください。

そういえば最近、道徳とか進歩とか借金とか、だいたいおなじものに思えてきた。ぜんぶ廃絶しなければ。とりいそぎ。

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続 脱原子力大学ゼネラルストライキ宣言
仮病の論理 −−道徳を廃絶し、時間を逆進せよ!


帝問曰 朕即位已來 造寺寫經度僧不可勝紀 有何功紱
師曰 並無功紱
帝曰 何以無功紱
師曰 此但人天小果有漏之因 如影隨形雖有非實
帝曰 如何是真功紱
答曰 淨智妙圓體自空寂 如是功紱不以世求
帝又問 如何是聖諦第一義
師曰 廓然無聖
——『景徳傳燈録』



私は一生涯病人だったが、そうあり続けたい、ただそれだけだ。
——アントナン・アルトー


あらためて呼びかける。脱原子力大学ゼネラルストライキを決行せよ。


かつて、大学ストライキとは、学生と教員が授業をボイコットし、校舎にたてこもることを意味していた。いまや、大学ストライキとは、大学そのものからの離脱を意味している。物理的な意味で逃げること。逃亡こそが大学ストライキのアルファであり、オメガである。福島、宮城、茨城、群馬、栃木、埼玉、千葉、神奈川、長野、静岡、東京。放射能にまみれたこの地域では、ひとつの空間にとどまりつづけることは自殺行為である。きれいな空気、おいしいご飯。われわれはその空間を満喫すればするほど、死へとむかっていく。われわれの闘争手段は、もはや校舎の占拠ではありえない。われわれに残された唯一の道は、逃亡である。放射能はこわい、勝てない、危険だ、逃げよう。


しかし、逃亡には労力がかかる。カネ、カネ、カネ、とにかくカネがかかるし、授業にバイト、就職活動、おもてだってやめるには骨がおれる。友人や家族、恋人、ひとりでも理解のないものがいれば、逃亡はさらに困難だろう。きつい、むりだ、めんどうくさい。


そんなみなさんにアドバイスをしよう。 ――――仮病をつかえ。


草は毒草、花はセシウム。最近、気分がすぐれない、外で遊びたくない、地べたに座りたくない、庭先でゴロゴロできない、放射能がこわい、セシウムがこわい、水蒸気がこわい、肉、肉、肉、大好物がおいしくない、原発豚、原発牛、原発魚、食べたら鼻血がでる、風邪をひいた、おなかがいたい、血をはいた、入院した。ほんの一瞬でもいい、すこしでもそう思ったら、それはもう病気だ、ゲンパツコワイコワイ病だ。ただちに健康に影響があるレべル。死の列島で半年をすごした今、「健康である」とは、「健康でありつづける」とは、どういうことなのか。われわれの体調がわれわれの賭け金である。疲れやすい、集中できない、眠れない、気分が悪い、起きられない。われわれは具合がわるい。科学的根拠など、捨てるゴミ箱もないので、路肩にでもぶちまけよう。病気になったら、仕事は休む。明晰な仮病の論理。そして、めんどうくさいのは抜きにして、しのごの言わずにちっちゃく逃げよう。家でゴロゴロ、旅先でゴロゴロ。疲れたときは寝るにかぎる。カネがあったら旅にでよう。なくなったらなくなったで、また戻ってくればいい。


旅する場所がない? 風のうわさで聞いたのだが、TEPCOのお偉いさんはいくつも別荘をもっているらしい。会社には立派な保養所がたくさんある。社員も社員で金持ちだ。マイホームやらなんやらたくさん土地をもっている。ちょっと拝借してもいいはずだ。訪ねていって、けげんな顔をされたらこう言えばいい。「ゲンパツコワイコワイ病です」。断る理由はどこにもない。脱原子力大学ゼネラルストライキ。占拠する場所は変わってしまった。だが、なくなったわけではない。TEPCO、TEPCO、カネをくれ。ないならないで保養所をもらおう。自由の新たな空間、来たるべき脱原子力大学。仮病には温泉がきくそうだ。温泉で読書。秋風と夜空。そこでわれわれは星座をも読むだろう。なにも教わらず。ただ読み、学ぶだろう。


ところで、仮病は反道徳だろうか?そう思ってわれわれをなじるものがいるかもしれない。だから、はじめから言っておこう。残念でした、先生。われわれはそもそもが反道徳なのである。道徳など気にもとめない。古来より、人間社会には主人と奴隷の身分があった。むろん、強力な武器を開発した部族がよわい部族を征服しただけなのであるが、主人はみずからの力のつよさを進歩とよび、それを肯定するために社会のルールをでっちあげてきた。法律とか、道徳とか、そういったものを。ルールをやぶれば法的に罰せられるのはもちろんのこと、社会の退歩をまねく愚か者として道徳的になじられる。 教育に、ひいては大学に目を移しても事態は同様である。われわれは、進歩の名のもとに、なにごとかのルールを教えられ、そうして教えられるごとに、遅れた存在として、劣った存在として規定されるわけだ。


道徳を廃絶せよ。われわれは仮病をつかう。原発が爆発したのに、まじめに学校へかよい、せっせと働くのは進歩を信じているからだ。エネルギーシフトを実現し、電力供給を安定させれば、よりよい未来がまっているとでもいうのだろうか。仮病をつかって仕事をサボり、ふらふらと旅することは社会的退歩であり、道徳的におかしい行為だとでもいうのだろうか。はっきりと言っておこう。現実から目をそむけないでほしい。われわれの周囲は放射能にとりまかれている。たまに逃げなければ生きてはいけない。子どもだけではない。若者も、中年も、老人も、みんながそうだ。われわれは仮病をつかう。具合のわるいモモであるわれわれは、見上げた夜空の星座とともに、道徳という時間泥棒からかすめとられたものを奪いかえす。道徳を廃絶し、時間の流れをいったんとめよう。それは時間を盗みかえすことだ。怯えるわれわれの身体、疲れたわれわれの身体を、奪いかえした時間のなかに占拠させることだ。そして、力能をとりもどすプロセスを開始すること。これは退歩などではない。時間を逆進し、新たな時間を創造するための大いなる準備過程である。


話をわかりやすくするために、中国の聖人の話をしてみよう。西暦五世紀から六世紀にかけて、ダルマという聖人がいた。ペルシャで生まれ、一五〇歳まで生きたという怪物だ。この聖人ちょっとあたまがおかしい。梁の皇帝であった武帝から招集され、出世のチャンスがおとずれたときのことだ。武帝はダルマにたずねた。自分は仏教に帰依し、莫大な財産をはたいて寺をたてた、これで公徳をなしたことになるだろうか、自分は道徳的にすぐれていると言えるだろうか、と。ダルマは一言だけこたえた。いいえ。おどろいた武帝はふたたびたずねた。では、どうすれば公徳をなしたことになるのか。ダルマはこたえた。ムリです、とりあえず無心になったらいいんじゃないですか。怒った武帝はダルマをおっぱらい、ダルマは他国の寺にこもることになった。しかし、ダルマは寺にこもることをうれしがった。もともと、ダルマはボーっとすることが好きだったのである。皇帝だろうがなんだろうが、毎日仕事に駆りたてられ、他人に教えをさとすなんてまっぴらだ。しかし、どれだけボーっとするのが好きだったのだろう。ある日、ダルマは壁をまえにして座禅をくみ、九年間、そのまま動かなくなってしまった。その間、ダルマの手足はすべて腐りおちてしまったそうだ。これを壁観というのだが、おそらく伝説であり、ウソだろう。だが、ダルマはそんなウソをついてまでボーっとしたかった。武帝に語ったとおり、かれは座禅をくんで、無の境地にでもたっしたかったのだろう。


ちなみに、無とはなにもないことではない。なにもないことがゼロだとしたら、無とは無限をかかえこんだゼロである。一をゼロでわってみよう。こたえは無限である。では、ゼロに無限をかけてみよう。こたえは〈一〉である。無とは、この〈一〉のことであり、なにものでもないが、つねになにものでもありうる唯一者のことである。ダルマは、この唯一者の境地をもとめていたのだといえる。武帝は進歩を信じ、みずからの道徳の向上をもとめていた。それはまえにすすむ一本道、よりよい一をもとめることであった。だが、ダルマにとって、そもそも現前の進歩、道徳自体がおかしかった。はっきりさせよう。ひとがそれを振りかざしてはわれわれを脅しつづけている「道徳」という言葉には隠された限定詞が存在する。つまり、あらゆる道徳は、〈社畜の〉道徳なのである。ありもしないよりよい未来を先へ先へと永遠にくり延ばすことで作られる、労働へと至る一本道。だからこそ、パニックをあざ笑い、園児の内部被爆を懸念する保護者の抗議を「保育に支障をきたす」と逆ギレし、放射能に怯える学生を猿でもみるかのように呆れながらなだめすかすことが道徳的なふるまいとしてまかりとおるわけだ。


呪われた社畜道徳の回帰。原発が爆発して以来、あらゆるかたちで呪いがかけられてきたし、かけられているし、これからもなおいっそうかけられつづけることだろう。冗談ではない。嘘とか、隠蔽とか、居直りとか、今起こっていることはそんな言葉では名指せない。われわれは呪いの言葉の渦中にいる。そして、さまざまなヴァリエーションをもつ呪いの言葉は、煎じ詰めれば次の命題へといきつく。すなわち〈日常へ戻れ〉。「ただちに健康に影響はありません」、「パニックにならず、落ち着いて行動してください」、「がんばろう、日本」、「出荷停止指示解除」、「だいぶ時間もたったしね」、「気にしすぎ」・・・だから〈日常へ戻れ〉。これにつきる。呪いの教典である原発が衆目のなかで爆発してなお、われわれはあらゆるかたちで呪われつづけ、持ち場へ戻ることを、つつがなく労働を再開することを強いられている。だから、呪いを振り払わなければいけない。対抗する呪術?それもわるくない。ネットをとおして、街頭で、押さえようもなく脱原発が叫ばれている。もっともだ。馬鹿じゃあるまいし。当然だ。しかし、ほどなく脱原発運動に持ち場を見出すものたちが現れるだろう。そして、それぞれ持ち場につきはじめ。通り抜け、置き去りにするべき〈日常〉に、労働という名の裏箔が張らる。体は跳ねかえされ、視線も跳ねかえされ。確認しておこう。持ち場をつくり、それらをいついかなるときもたがいに監視・管理させつづけること、これが原発装置の骨子である。つねに「顔色を伺う」こと。乾ききった職場の会話。おためごかしがBGMのように流れる研究室。「これが正解!失敗ナシの就活メイク」。明け方のfacebook。常時接続。予備電源も忘れずに。原発が爆発してなお、原発装置は作動しつづけているわけだ。装置から流れでるたえざるフローにブクブクと膨らみつづけ、やがて弾けとぶしかないのか。つねに接続されながら、着々と内部被曝していくしかないのか。「健康であること」の末路。やってられるか。われわれは仮病をつかう。われわれは具合がわるい。終わりのない装置の昼に、残酷の夜が帳を引かんことを。


ダルマから学ぶこと。まずは道徳から逃亡すること、いったんゼロになること、そのゼロからすべてを見据えること、目のまえの壁から無限に逆進していくこと。むろん、おもてだって道徳を否定し、逃亡することは骨がおれる。権力者によっては殺されかねない。ならば仮病をつかおう。座禅で手足が腐りおちてしまった。バカみたいなウソをついてでも、とにかく逃げること。唯一者は反道徳である、仮病である、時間の中断である、逆進である。じっさい、逃げる理由は、ない。もしくは、ありすぎる。もうたくさんだ。反-理由としての仮病。仮病は永遠と手を切るだろう。無様な永久機関、永遠を模したポンコツは吹き飛んだ。今すぐに逃げたい。だからわれわれは、今すぐに病気なのだ。きわめて明晰な仮病の論理。仮病は雄々しい戦いとも無縁である。われわれは幻視する。デモの最中に隊列から逃走するグループ。ひとつ、ふたつ、みっつ・・・彼/彼女たちがどこへ行くかはわからないが、何をするかはわかっている。準備を開始するのだ。進行中の内線のための別の戦いが準備されるだろう。卑怯者?どういたしまして。逃げるが勝ち。逃げるが勝ちだ。


周知のとおり、アジアでは寺が大学の役割をはたしてきた。学問をきわめ、書道をまなび、詩や絵画をたしなむ。それは現世利益から隔絶し、無限の真理を探究する貴重な空間であった。むろん、すべての人びとに門戸がひらかれていたわけではないし、宗派ごとにセクト化し、えげつない権力争いや殺しあいがおこなわれることもあった。だが、そのなかで真理の探究がおこなわれてきたことはたしかであるし、それすらできなくなったときは、ダルマのように逃亡をくわだてるものもたくさんいた。仮病は、こんにちでいうところの大学ストライキであり、大学サボタージュである。物理的な意味で逃亡し、各地を放浪して、そのまま朽ち果てていったものも大勢いただろう。だが、そんな逃亡者たちにとって、放浪は修業であり、旅先の出会いはそれ自体が寺であった。大小さまざまに逃げながら、われわれは学ぶだろう。逃げるからこそ、あらゆることを、獰猛に学ぶだろう。くりかえすが、われわれにとって、大学とは仮病をつかうことであり、放射能バカンスをとることであり、TEPCOの保養所をうばいとることであり、温泉につかることである。われわれはダルマである。ダルマは仮病をつかう。仮病は大学をきりひらく。


さて、この道徳廃絶論を閉じるにあたって、借金をかかえた学生、院生のみなさんに耳よりな情報をおつたえしよう。三・一一以降、日本の原子力体制はかんぜんに崩壊している。原発が壊れたということだけではない。福島第一原発の爆発とともに、学生ローン体制もぶっこわれたのだ。もとより、原発は科学技術にもとづく進歩のイメージをつくりあげ、この進歩の名のもとに、労働や消費の道徳をつくりあげてきた。だが、原発が爆発したいま、われわれの社会に進歩など存在しない。あるのはただ被曝にまみれた生のみである。注目すべきなのは、われわれの学生ローンもまた、おなじく進歩にもとづいて機能してきたということだ。社会は進歩する、学生は社会人として稼ぐようになる、だからカネを貸そう、と。借金を返さないことが道徳的に責められたのも、進歩の妨げになると認識されたからだろう。だが、いまや進歩は存在しない。原発とともに進歩は砕け散った。カネを返さないのはあたりまえ。われわれはもらったカネでどこかに逃げる。おもてだって返さないのは骨がおれるだろうか。だったら仮病をつかおう。返せない、返せない、返さない。「欲望は交換を知らない。ただ盗みと贈与だけを知っている」(ドゥルーズ)。盗人は、盗人であればこそ猛々しい。借りたカネはもらったカネだ。借金で放射能バカンス。本が読みたい、肉が食べたい、刺身が食べたい、セシウム抜きで。


来たるべき脱原子力大学。はじめに仮病ありき。時間がない、急ごう。


2011年9月11日
脱原発大学ゼネラルストライキ委員会


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