カタツムリの工房はね〜

スユ+ノモの友人の文章を紹介します。
ブラックリストも出てくるよ。


ちなみに、以下のホームページからの転載です。

http://maqama.tumblr.com/post/7644467228/text

                                                                                        • -


タツムリの工房はね〜


私たちのことを何と説明したらいいんだろう。長く工房を離れていて、そして帰ってきた今、ふとそれが知りたくなった。説 明すればするほど、それから遠ざかっているという事を私たちはよく知っている。でも、いやむしろだからこそ説明してみたくなった。


タツムリの工房という集まりは、他のところ、例えば、スユ+ノ モよりも説明がずっと難しいのです。工房とは何かを作る場所を意味します。陶磁器の工房、化 粧品の工房、家具の工房... ...。私たちの周りにはたくさんの工房があります。人々はそこから陶磁器を作り、化粧品を作り、家具を作ります。しか し、私たちはと言えば、手に取れる 何かを作るために集まっているわけではありません。それに、定まった空間を持っているでもないから"工房"と 呼ぶには恥ずかしいくらいです。確かに私たち も何かを作るには作っています。針仕事をしたり、コーヒーを炒ったり、パンを焼いたり、石鹸を作ったりして... ...。でも、これらすべてのことは一種の手段なのです。私たちに重要な価値は、コーヒーやパンや石鹸よりも、それを作成 することで生じる特異な場所にあ るのです。時には私たちは何も作っていないように見えても、そんなときにも何かを作っています。消えてゆく場所、痕跡としてのみ残るような、 ある瞬間の数々を。


説明しようとしてみると、かなり変な集団です。私たちは、消えてゆく瞬間だけを作って、それを維持しようとするわけでは ありま せん。ひとつの欲望を持って行動しているわけではないから、ひとつだけのアイデンティティを持とうというつもりもありません。その意味で、我 々は危険なア ナーキー運動組織です。 ^ ^;。


「左翼は政府を作らない。」


私たちは、ドゥルーズのこの言葉が好きです。私たちは時々集まりますが、ほとんどの場合、あちこちに散らばっています。「私たち」と呼ばれるカテゴリーも毎回異なります。言葉は変ですが、私たちの中には私たちじゃないものたちもとても多いのです。


タツムリの工房は、研究者の共同体から出発しましたが、研究者が集まって作ったわけではありません。ある意味で私たちは、自らそれを拒否しま した。私たち の中には主婦も、失業者も、研究者も、翻訳家も、ドキュメンタリーの監督も、音楽家も、画家も、2歳の赤ちゃんも、自らを兵役拒否者だと言う 20代の女性 も、自分がメンバーだということも知らない40代の男性も、台所のオーブンも、近所の猫も、隣のおばあちゃんも、移住労働者もいるのです。そ のすべての顔 を一つのものに還元できるわけありません。それで言えば、私たちは研究者であることを拒んでいる研究者たちです。固定され た我々であることを拒否しているわたしたちな のです。私たちは、いつどこであろうと私たちが楽しいことをするだけです。ところが、この行動は、おかしな瞬間たちを作ります。私たちは勉強 している人々 の間で、マニキュアをした爪で編み物をしたり、真夜中の地下鉄鐘閣駅で座り込みをしている障害者たちとカフェを開いたりもします。デモに子供 を連れて行っ たり、ミニスカートにタンクトップを着てプラカードを持ちます。 DIYを謳いながらパンを焼き、パンクを聴きます。パンクを聞くために集まったかと思えば、ふとテレビの報道番組を見ます。私たちがこのよう な行動をする とき、そこにはちょっと見慣れない空間ができます。そして、そこに人々が集まります。その瞬間に私たちをひとつにつなげているものは、ただそ の空間に一緒 にいるという事実だけです。「私たち」は、そのように現れては消えるのです。


私たちは1970年代のイタリアのフェミニストたちが 「主婦に賃金を!」と叫んでいたのを覚えています。その中には主婦でない人も、例えば非婚者も男性もいただろうと想像します。そして、彼ら が、単に家事労 働も再生産労働だという事実を証明するために、そう叫んだわけではなかっただろうと思います。彼らはこう言っているようです。 「私たち」が作るのはあなたたちが言う剰余価値に属するものではないんですよ。私たちが作る他のものについて考えてみてください。私たちはそ れに対して賃 金を払ってほしいんです。
彼らがそう叫ぶとき、彼らは、そして私たちは5000ウォンで交換されるパンとは非常に異なる種類の価値について考えるようになります。 例えば、 一篇の詩が生産するすべてのものとその価値のようにです。うまく説明することも語ることも難しい価値の数々。私たちは、私たちの行動がこのよ うなさまざま な価値について、新たに質問する瞬間であることを願います。東京の奨学金未払い者たちの集まり「ブラックリストの会」の友人が「学生に賃金 を!」と叫ぶの も、我々はそのように理解しています。ソウルのドゥリバンという食堂が再開発撤去に抵抗して問いかけた価値もまたそのようなものだったでしょ う。我々は、 そんなような様々な価値をもっと多く作りたいのです。みんなで集まってパンを焼いて一緒に食べるときに生まれるものについては、私たちはあま りにもよく 知っていますから。 ^ ^


だから私たちは何であろうとなること(生成)を望みます。ただ、それがお互いを変えるというのなら。私たちは、一つの何かになることを要求するような「同一視(identification)」 を好みません。だから、私たちはは、どのような場合であっても、 「私たちのようになること」を要求しません。私たちは、このことに関して、どのようなものであれ私たちだけのものである倫理を持っていませ ん。私たちが何 かになる時、それは常に双方向に行われます。私たちが、ドゥリバンで蚤の市を開くとき、私たちとドゥリバンは同時に変化します。それは何かわ からない新し い「私たち」をつくることであり、それはすぐに消えるものなのです。私たちが自分たちのことを障害者だと名乗るとき、私たちがホンイク弘益大 学の非正規の 清掃労働者だと言うとき、移住労働者だと言うとき... ...。私たちが求めるのはまさにそのような瞬間たちなのです。私たちが出来ないだろうと思っていた全てのものたちと共 に、そして、私たちであるものの極 限から来て私たちの限界を超えてしまうようなそのような異質さと一緒にいられることを。そのために私たちは消えては、つくられ、また消える予定なのです。


この文は2011年1月に 掲載されました。
http://suyunomo.net/?p=6675
(ユソン 訳・今政肇)